いじめにどのように対処するか
僕は、昔からどうも外見的にいじめやすそうに見えるみたいで、どこでも必ず目を付けられます。
ただ、自分で言うのもなんですが、僕は見た目よりずっと「図太い所」がありまして、その都度、結構きっちり・厳格に対処してきてきています。
要は、僕の逆襲に合ってしまったかわいそうな人たちも多かったわけです。
この辺は、わかりにくい外見をしてる僕にも責任があるのかもしれませんが、まあ、いじめる方も、「自分より弱いだろう、おもちゃにできるだろう」と侮って近づいてきたので「自業自得」だっただろうなと思います。
小学生の、一番最初の頃はできなかったのですが、そのうち力も意思も強くなってきたので、次第にちゃんとやるようになってしまいました。
スポーツも始め、腕力も強くなり、多少、態度も粋がってくる頃からは、いじめには合いにくくなっていきました。
それでも、まあ、大人になってもちょいちょいは、あります。
僕の場合、自分に対してのいじめや嫌がらせは、基本は、相手にしない、無視する、付き合わない、一切視界に入れない、で対応します。
こちらのリアクションを楽しむという者もいるので、なんのリアクションもしない、というのも大事かもしれません。
(が、これは相手を更にいらだたせて手を出されるなど、難しい場合もあるので、使えない時もあるかもしれません)
しかし、中には陰湿で、こちらが大人の対応をしているというのに空気が読めず、勘違いしていつまでも続けてくる・しつこいタイプもかなりいました。
そういう場合は、倍返しでは済ませまん。
自分に手を出すと、損だ・危険だとわからせます。
そうすると、たいていは面食らってしまい、あっさり手を引くことが多かったです。
ただ、これは何も、必ずしも物理的に「ボコボコにせよ」と言っているわけではありません。
たいていはこちらが凄い剣幕で怒り、これは殴られるかもしれない、と思わせるくらいで充分だったようにも思います。
まあ、若い頃はもう少し踏み込みましたけども。
僕も若いころはそれでも良かったんですが、さすがに大人になってそれではこちらが困るので、違う方法を取ります。
大人になってからのしつこいのには、というか、たいていじめをする者は、劣等感がとても強く、自分の方が、僕より「上」であると明確に顕示したい、自分より下の者が欲しいと、いちいち突っかかってきたりくることが多かったので、
もう張り合うのはやめようと思えるほどに、差を見せつけてしまったことがありました。
ある時は、論破して徹底的にねじ伏せることもありました。
ただ、これはできる時と、できないときがあるとは思います。
対処が難しい事の方が多いとは思います。
自分一人では難しいときは、やはり周りの人に助けを求めます。
それは正しい・賢い選択です。
助けを求めるというか、味方を増やすという方が正しいかもしれません。
そのためには、日ごろから周りの人に対して誠実である必要はあるかもしれません。
ところが、助けを求める先を間違えて、全然頼りにならなくて、返ってストレスを溜めてしまったことは僕もあります。
学校で言えば、担任の先生とか。 何も期待してはいけない人も中にはいます。
それについては後述します。
ところで、僕がいじめや嫌がらせに対して、ある程度、きっちり対処するのには、もちろん自分のためでもありますが、もう一つの理由が、そうしないと僕の次にいじめのターゲットになる人が気の毒であるという理由でもあります。
僕で味をしめてしまうと、次のいじめの被害者が出る可能性もあるわけです。 であれば、二度と人をいじめをしようなんて思わなくなる程に「痛い目」を見てもらおうかな・・・というのが、いじめ人生歴の後半でたどり着いた、自分なりの解答でした。
実際、学生時代にそのように近づいてきた人物は、自分以外にも被害者が多数いた上、「自分がいじめる側であることに誇りを持っている」という真正のバカだったので、それなりに厳しい対応を取った記憶があります。
この時は、個人的にも、その人物をべっこ・べっこに凹ませた上に(物理的にじゃないですよ)、表向きは成績優秀な優等生だったので、学校側にも報告して徹底的にやりにいった記憶があります。
そこまではしませんでしたが、身体的な負傷もしていたので、被害届を出し、警察沙汰にしてしまうこともできたと思います。
普段はそこまではやらないのですが、内容が悪質過ぎたのと、被害者が多かったので、厳しくしました。
まあ、あまりやり過ぎるのも、逆いじめみたいになって、いけませんが。
同じ穴のムジナになってはダメですね。
以上は、僕の経験則なので、一定以上の悪質で集団のいじめや、暴力を伴うようないじめ。
教師からのいじめ。職場でのいじめ。
最近多いというネットでのいじめには対応できないかもしれませんが、基本は、極めて厳しく対処する。きっちり落とし前をつけさせる、ということです。
あと、もし僕が親であり、子供がいじめられているのであれば、子供のいじめだからと軽くみず、 いつでも不登校などで休めるようにして、避難経路を確保します。
徹底的に、子供の味方になります。
味方がおらず、逃げ場がなくなってしまうのが何より危険だからです。
子供が大丈夫と言っても、我慢してしまうこともあると思うので、細心の注意を払います。
そのうえで、担任の先生が頼りにならない、生ぬるい対処しかしない、真剣さや誠実さが全く感じられないと思ったら、担任の先生にも「勉強」してもらいます。
いじめがどれだけの物か、最悪の結果が起こりうることを、軽く見てるようでは困ります。
「校長」や、場合によってはさらに上まで巻き込んで、本当に「おおごと」にしてしまうと思います。
先にも書きましたが、そうすることで自分の子供だけでなく、後に続く他の子供を守ることにもなるはずだからです。 勇気のいる事ですが、これは行動できる人間の責任だと思っています。
ただ、本当は先生次第というところもあると思います。
僕の小学校5・6年の頃の担任の先生ですが、 怒ると凄まじくおっかない男の先生で、人の道を外れた卑劣ないじめには、超・真剣に指導するタイプだったとき、ちょっとしたいざこざはあったにせよ、クラスに活気とまとまりがあり、僕も、とてものびのび学校で自分を出せたということがありました。
ちょっと思い出したのは、帰りのホームルームで、一日の良かった事、良くなかった事、誰かにやめてほしい事などを、先生に挙手して報告するという時間があったことです。
誰かがした良いことも、超・褒められるユニークな時間でしたが、そこで、いじめや嫌がらせをした生徒が、その先生の強烈な指導を受けなくてはならないという事もあって、それが強烈な「抑止力」というのになっていたことは確かです。
何が言いたいかというと、やはり「厳粛さ」をきっちり示すことは、いじめを考える上で大切なのではということです。
もちろん、指導に熱心ではあるものの、優しくてあまり強く怒れない若い先生もいて、そこまで求めるのも気の毒なことはあるので、その場合はやはり担任の先生に相談のうえで、
もっと上に指導をしてもらう、という事になると思います。
僕も過去の自分へのいじめを思い出して、文章にやや熱がこもってしまいましたが、感情的にならず、冷静に粛々と対処するのが良いかもしれません。